「閃光スクランブル」単行本感想文

(レビューではありません。ネタバレを含みます)

 

 

読み終えて、検索エンジンのイメージ検索ウィンドウに「閃光スクランブル 写真展」と打ち込んだ。読んでいる途中で、主人公巧がカメラマンであることを受けてか、この本が発売された当初著者の写真展があったと知ったので、どんな写真があったのか写真そのものは見つからないかもしれないが雰囲気くらい分かれば、という軽い気持ちだった。だが次の瞬間液晶画面に並んだ検索結果に「やられた…!」と唸ってしまった。巧がそこにいたからだ。

 

私は基本的には初読時に登場人物の顔を具体的にイメージして小説を読むことはしない。頭の中にある映像再生のスイッチは読書を楽しむスイッチとは別の場所にあるからだ。まずは文字情報で楽しむ。映像化を知って読む時はあてはめながら読むこともあるが、これをやると実際のドラマや映画を観る前に満足してしまうことがあるので難しい。

巧にしろ亜希子にしろ具体的に顔をイメージしてはいなかった。

初読時には作者である加藤シゲアキ氏を思い浮かべることもなかった。

 

妻とそのお腹にいた子を喪って以来パパラッチカメラマンとして生きる巧と、巧が狙うアイドルグループMORSE(モールス)のアッキー、亜希子。二人を主人公にストーリーは進んでいく。亜希子はトップアイドルグループのリーダーでありながら様々な劣等感に苛まれ、かつて共演した大物俳優尾久田雄一と不倫関係にあった。

中盤からの尾久田の妻と亜希子との対決、明かされる尾久田のマネージャー小林の正体、狙う者と狙われる者だった二人が交錯し始まる逃避行にはページをめくる手が止まらなくなった。

逃避行の途中で明かされる巧の秘密と秘密ごと彼を抱き締める亜希子は美しい。

 

また、脇で登場する人物たちも魅力的だ。巧の義父多一郎、彫師の香緒里、探偵?パパラッチ?の柊(榎)。

そして象徴的に登場する渋谷の街も人ではないが重要な登場人物と言ってもいいのではないだろうか?

クライマックスシーンのカメラフラッシュ乱れるスクランブル交差点は、再読を重ねるうち「東京は夜の七時」の音楽と共に脳裏に映像が流れるようになった。

 

ただ、この時巧は決して著者の顔に重ならないのだ。著者インタビューによればこの小説は「チャンカパーナ」の録音や振り付けなど曲を完成させていく頃に考えられたらしい。

ラストシーン、星のようなペンライトの光の中へ歩き出す亜希子がまさしく一時アイドルから遠ざからざるを得なかった著者が再びアイドルとして輝く様子を思わずにはいられない。

 

11月25日には最新シングル「四銃士」と同日にこの本が文庫本としてふたたび世に出る。著者によればだいぶ文章に手が入り、ブラッシュアップしたらしい。手に入ったら読み比べて楽しみたいと思う。